ひとりごと

書くことをやめた理由

松本真実

4年くらい前、自分の文章が突然ものすごく嫌いになって、書くことをやめた。

ある中年の男性著名人のブログを読んでいて、「あれ、なんか私と文章が似てない?」と思ったことがきっかけだった。

その方は私が小さい頃からテレビで活躍していて、知識も信頼も実績もあることを誰もが知っているような人。いつも誰かのために動いていて、絶対にいい人としか思えない。
それなのに。。。

ブログを読むと、なんだか、ちょっと胡散臭い。
(ごめんなさい。)
おもしろいことを書こう書こうとしているというか。
人のために伝えようという気持ちが重いというか。
(本当に申し訳ない。)
絶対にいいことしか書かない。
もしかして、いい人だと思われようとしてる。。。?

そう思った瞬間、この言葉たちがブーメランとなって、私にガツーーーンと返ってきた。
「私も胡散臭いって思われてるかもしれない。。。」
かなりのショックを受けた。

その方は文章を書くことは本業ではないし、実名顔出しで仕事をしている以上「いい人だな〜」と世間から思われなければ商売上がったり。そんな事情を抜きにしても、30年以上メディアで活躍できるなんて相当な人格者だ。
もし仮に胡散臭くとも、それは社会に許容されている胡散臭さということになる。

一方私は、人間関係が自分の半径200mくらいにしか広がらない一般人。
社交的な性格ではなく、何かを書くことで自分の気持ちを出しやすかったのか、自然と書くことを続けてきた。
幼い頃の文通や新聞係に始まり、映像編集を始めてからは原稿を書いたり、先輩から後輩までインタビューをして回って社内報を作ったり。
出産を機に退職してからも、書くことなら家で続けられると思って、短いエッセイコンテストへの応募や、ライターとして育児体験を投稿するなど、日常の小さなことだけれど、書くことは絶対にやめなかった。

それがこの時、初めて立ち止まって考えた。
自分の文章を初めて俯瞰で見て、本当に嫌気が差した。

一体私は何を思いながら、これまで文章を書いてきたのだろうか?
狭い世間の中で、いい人だと思われたい一心で、胡散臭い文章を書き続けてきたのだとしたら。。。?

書くことで人間性が明るみに出る怖さを初めて実感した。

自己嫌悪の歯車は回り出したら止まらない。
料理をしている時も、庭の草むしりをしている時も、子どもを風呂に入れている時も、
”胡散臭い私”みたいなことが頭から離れなくなった。
毎日開催される、過去の自分の大反省会。書くことはおろか人と接することも怖くなった。
そしてある日洗濯物を干しながら思った。
「もう、書くのやめよう。」

それから4年間、本当になんにも書かなかった。
今この瞬間までは。

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