石を砕けるかは自分次第

あと数日で、「京都ライター塾」が始まる。
ライター・エッセイストの江角悠子さんが主宰するもので、ライターという仕事を基礎から学べる、初心者のための講座だ。
月に2度、1回3時間の講座が土曜日に行われるので、その日は仕事が休みである夫に2人の子どものお世話をお願いしている。
夫は最近、体が”石製造機”と化している。
昨年夏、尿管結石を発症した。
さらに秋には、四十肩だろうと2、3年痛みを誤魔化していた肩が限界を迎え、激痛が走るようになったので病院へ駆け込んだところ、四十肩ではなく、肩の関節の間に石灰が溜まっていたことが原因だと診断された。
体中に石を作っていたのである。
痛みや病気に弱い夫は怯えきって、必死に通院した。
幸いにも尿管結石は出血のみで痛みが無く、投薬治療で治りそうだという。
肩の方も、ドリルのようなもので激しい振動を与えて固まった石灰を粉砕し、注射器で吸い出すという聞いたこともない治療をすぐに施してもらったおかげで、初回の治療だけでも痛みがかなり消えたらしい。
今はどちらも経過観察程度まで良くなり、土曜日に通院することがたまにあるくらいになった。
夫は昨年までの3年間、単身赴任をしていた。家庭を持つ社員には基本、単身赴任はさせないという取り決めがあるのだが、人員不足によりその役目が夫に回ってきて、会社にはいろいろと世話になっているからと苦渋の決断で引き受けた。
その3年間に溜まった疲れや不摂生のせいだったかもしれない。症状が激しく出たことで治療をするきっかけができて本当によかったと思う。
そして年が明けた先日、ご飯を食べながら1月のカレンダーを確認していたところ、夫が「あれ、俺が通院できる土曜日の午前中が無いな。」と言い出した。
カレンダーには何も書かず、適当に空いている土曜日に通院するつもりだったらしく、さらに私の「子どもを任せても大丈夫?」という問いかけに適当に「いいよ。」と返事をし続けていた結果、土曜日の午前中がすべて埋まっていてびっくりした、ということらしい。病気が良くなった途端、なんちゅう甘すぎるスケジューリング。
ここへ来て、どこかの土曜日の午前中を空けなければならなくなった。
暇を持て余した小学生と幼稚園児のパワーは凄まじい。
先日のセミナーの時も騒がしいばかりか、ドアの外に詰め寄って今にも開けんという勢いだったので注意しに席を立ったら、zoomカメラ用のスマホは落下するし、話も聞きそびれるし。。。こういう痛い目は過去にもたくさん見てきた。
静かに集中したいライター塾の日に通院が重なることは避けたい。というか前からこの日だけは!とお願いしていたのだから、その日は子どもを見てほしい。
そこで別日の外出の用事に、私が子ども2人を連れていくことにして、その日に通院することを夫に提案した。短時間だし、そんなに大きな問題ではなかった。
するとその時、罪悪感を抱いたのであろう夫が、まさかの一言を放ったのである。
「ライター塾の日に病院に行くことにするよ。家なんだから、子どもが遊んでいたって、まあ3時間くらい大丈夫でしょ?」
いやいやいやいや待って!と。
私の勉強の時間をなんだと思ってるんだ!と。
適当なこと言うのも大概にしてくれ!
考えてみてほしい。
あなたは体に石ができて大変だっただろうけども、投薬や謎の治療を早期に受けて、今や砂粒ほどまでに小さくしてもらったのでしょう。
私はどうだ?
文章が書けない、仕事の取り方もわからない、絶望という巨大な石を抱えて、今まさに第一回目の治療(ライター塾)を受けて粉砕しようとしているところなのだ。きちんと治療を受けさせてほしい!
私は思わず叫んだ。
「それは絶対無理!私は1秒たりとも時間を無駄にしたくない!」
夫は驚いた顔をして勤務表とにらめっこし、平日でギリギリ通院できそうな日を見つけてくれた。そんな日があったんかい。とりあえずありがとう。
叫んだ私も驚いた。
私、本気で石を砕こうとしてるんだな。
自分の学びのためにお金や時間を費やすのは、10年ぶりくらい。
このライター塾という機会を、私は本当に大切にしたいと思っている。
とは言え、私なんかに、仕事につなげる力があるんだろうかという不安はかなり大きい。絶望と不安、目の前に巨石は2つ転がっている。これを粉砕できるかどうかは、治療を受けた自分次第となるわけで、夫の治療より絶対難しいはず。
あの時叫んだ気持ちを頼りにして、少しずつ砕いて前進していこうと思う。